はじめての一口に込める、家族の願いと味の記憶

おもてなしの心

その日、厨房には特別な空気が流れていた

「今日のお食い初め膳は、男の子。おばあちゃんも一緒に来てくれるって。」

女将がそういうと、大将はにっこり。いつもよりゆっくりと包丁を握っていました。
浜松の市場から届いたばかりの新鮮な尾頭付きの鯛を、ていねいに下ごしらえしていくその手元には、どこかいつもと違うやさしさがにじんでいます。

「皮はパリッと、中はふっくらな仕上がりにするよ。人生最初の“祝い膳”だからな。」

お食い初めって、なんのためにするの?

やまにでも人気の「お食い初め膳」は、生後100日前後の赤ちゃんに「食べる真似」をさせて、
「一生食べものに困りませんように」と願いを込める、日本の大切な行事です。

実際にはまだ食べられない赤ちゃんに、ご家族がひとくちずつお箸で食べさせる真似をします。
その順番や意味は地域によって少し違いますが、

尾頭付きの鯛(めでたい)

赤飯(お祝いの色)

煮物(季節の恵み)

お吸い物(人との縁)

歯固め石(丈夫な歯になりますように)

それぞれに、日本の四季と暮らしの願いが詰まっているんです。

やまにのお食い初め膳の舞台裏

厨房の奥では、スタッフのえりちゃんが煮物の盛りつけをしていました。

「この人参のねじり梅、もうちょっと小さくしようかな。赤ちゃんの口元に寄せたとき、器も大きすぎると怖く見えちゃうから。」

えりちゃんは自身も子育て中。だからこそ、細かいところまで気を配ります。

そのころ、ホールでは、お客様のご来店時間に合わせて最終準備を。
「きっと今日が、最初の“家族で和食”の日になるんだな」と、胸の奥がぽっとあたたかくなっていました。

家族の“はじめの一口”が、記憶になる

やがてお客様がご来店。
赤ちゃんは白いお祝い着、パパもママもにこにこして、どこか緊張したような、うれしそうな表情です。

おばあちゃんが赤ちゃんを抱っこしながら、鯛に箸を運び、「はい、どうぞ〜」とやさしく声をかけました。

赤ちゃんは食べるふりをしただけなのに、
その場にいた全員が、まるでごちそうを食べたかのように、笑顔になっていました。

それを見た女将がぽつり。

「赤ちゃんは食べてなくても、ちゃんと覚えてる気がするなぁ。
この音とか、においとか、みんなの笑い声とか。」

次の世代に、和食の「時間」ごと伝えていく

和食は味だけじゃなく、空気や時間、心まで伝える料理だと思っています。

食べた人が、そのときの会話や風景、感情までまるごと覚えていてくれる。
それが和食の“やさしいちから”なのかもしれません。

「一生食べることに困らず、元気でいてね」
その願いを、私たち「やまに」も一緒にお手伝いできること。
それが、女将としてのいちばんのよろこびです。

執筆:やまに女将/やさしい和の育ち便り

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